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小橋建太さんとのトークバトル

[2024.06.30]

4月29日のヨコハマフロントクリニックモールの内覧会3日目のメインイベントとして小橋建太さんと理事長Dr.市村とのトークバトルが行われました。

小橋建太さんはDr.市村が大学生の頃から熱狂していたプロレス四天王の一角で、プロレス界のレジェンド中のレジェンドです。

Dr.市村はただのプロレスファンが脳神経外科医になったと自称しており、全日本プロレスファン歴は鶴田天龍時代(鶴龍)からの約40年に及びます


憧れの小橋さんと念願のトークバトル

元井美貴さんが司会をしてくれました

 

小橋さんとも縁が深いスタンハンセンのテーマ「サンライズ」でブルロープの代わりに聴診器を振り回してDr.市村が入場しました。

ハンセンといえばウィー

 

1部ではプロレスによって受ける頭部打撲や体へのダメージをどのように軽減しているかという脳神経外科としての立場から議論させていただきました。

小橋建太選手は90年代の全日本プロレス、2000年代のノアで激闘をファンに魅了し続けてくれました。

しかし、四天王プロレスという頭や首に徹底的にダメージが残るスタイルは脳神経外科医となった今では時にレスラーの方々の健康状態を不安になることがあります。

小橋さんはけがをしないようにとにかく練習をするしかないとおっしゃっていました。これは前日に対談した岩谷麻優選手も同様のことをお話ししていました。

さすが、「小橋を殺すにはダンベルを取り上げるだけで良い」と言われるまで練習の鬼であった小橋選手ならではのお言葉です。確かに小橋選手は「日本で1番練習するプロレスラー」として有名でした。

また、四天王時代の武道館のように会場のファンが一体化して熱狂していると、それに後押しをされて怪我や後先のことを考えずに、より激しい上のレベルの技や攻防になって普段の力以上のものが発揮されるともおっしゃっていました。

プロレスラーの方々は自分の体や命を懸けて我々を楽しませたり感動させてくれていると思うと、レスラーへの尊敬の念は増すばかりです。

レスラーの方々が「選手だけでなく会場の雰囲気もプロレスを作っている」と発言することをよく聞きますが、我々ファンの声援も世界最高峰ともいえる四天王プロレスを支えていたと思うとうれしい限りです。

小橋さんと元井さんと記念撮影

 

小橋選手が腎臓がんを克服してリングにカムバックしてきたことでも知られています。実はDr.市村の父も腎臓がんを患い治療した経験があるために、これが横浜院で専門外の泌尿器科を立ち上げた理由の一つになっています。

小橋選手がNOAH時代の会社の健診で腎臓がんが発覚し手術を受けられました。医師には絶対に復帰は無理だと言われながらも不屈の精神で腎臓がんに打ち勝ってリングに戻ってきてくれました。プロレスラーの敵は対峙する相手でなく怪我や病気でもあります。

我々は小橋選手が怪我や腎臓がんに打ち勝ってリングに立つ姿を見て、生きることへの勇気をもらいました。

病気はなる前に健康診断やがん検診で発見し早期に治療することが重要です。小橋選手はこの重要なことを身をもって経験し発信してくれています。

また病気になることは個人だけの問題だけではなく、家族にも影響を及ぼします。小橋さんもDr.市村にも子供がいるために、家族や子供たちのためにも我々はまだ命を失うわけにはいきません。

Dr.市村も定期的に胃カメラや大腸鏡を行っています。人生は自分だけのものではありません。皆様も健康診断やがん検診は定期的にきちんと受けましょう。

 

 

第2部では四天王プロレス、絶対王者時代について存分に対談させていただきました。

Dr.市村は三沢選手の「スパルタンX」入場させていただきました。三沢小橋戦の入場を再現したかったからです。

スパルタンXの入場はプロレスの試合前でないにも関わらず非常に緊張しました。それだけ歴史的な重みのある曲です。

プロレスファンとしては三沢選手「スパルタンX」、小橋さんの「Grand Sword」で入場できるのは格別です。

小橋さんのサイン入りTシャツ

 

Dr.市村は2003年3.1の最後となってしまった三沢小橋戦と2013年5.11日本武道館の小橋建太引退記念試合「FINAL BURNING」の両試合を日本武道館でこの目で観戦しております。

2003年3.1NOHA武道館のパンフレット

 

三沢小橋戦は90年代のプロレス界の一番のブランドで97年、98年とベストバウト賞を受賞しています。

Dr.市村にとって三沢小橋戦を超える試合はないです。

小橋さんが三沢戦の前には「なにかあっても三沢さんを恨まないでくれ」と試合前に母に電話していたという話も披露され、それほどまでの覚悟をもって小橋さんが三沢戦に臨んでいたことが伺えます。

3.1はまだ研修医時代で休みがありませんでしたが、これは絶対に見逃せない歴史的な試合になると思い、無理休みを取らせてもらって、日本武道館に向かいました。

Grand SwordとスパルタンXの両選手の入場は今でも忘れられません。

小橋さんがくらった花道からのタイガースープレックスは小橋選手が死んでしまったのではないかと武道館が騒然となっていました。

フィニッシュのバーニングハンマーがあまりにも強烈すぎてここまでしないと三沢選手が倒せないかと愕然としました。

小橋さんの絶対王者時代はDr.市村は脳神経外科の研修時代だったので、自分の目でその時代を見ることができませんでしたが、秋山準選手が小橋さんを絶対王者と名付けたエピソードが明かされました。この絶対王者という言葉はこれ以降、一般的に使われるようになります。

ファンから見ても小橋さんにとって三沢選手は兄貴、秋山選手は弟分に見え、この両選手への絆は別格であるだろうと話していてもよくわかりました。

引退試合のFinal Burningは東部病院時代の毎日手術で忙しい時期ではありましたが、なんとかプラチナチケットを手に入れ観戦しました。全盛期ではないものの、筋肉隆々の小橋選手の肉体は引退するレスラーとは思えないものでした。フィニッシュがムーンサルトプレスで驚くとともに、本当に引退するのかと疑うくらいの引退試合でした。

2013年5.11日本武道館

 

引退試合を行って無事に引退するというレスラーは意外に少ないので、小橋さんは幸せなプロレスラー生活を送れたのではないかと思います。

5.11FINALl BURNINGのパンフレット

 

小橋さんのプロレスは引退しても10年以上経過した今でも現代のプロレスにも多大な影響を及ぼしています。

日本のみならず、アメリカ、海外にも小橋さんの影響を受けているレスラーは数多くいます。

そのようなレスラーのムーブを見ると小橋さんや四天王プロレスが好きなんだろうなということはプロレスファンならすぐにわかります。

トークバトルの最後にクリニックの明るい将来を祈念してDr.市村が小橋さんの代名詞である逆水平チョップを受けました。

小橋の逆水平を受けるのはDr.市村の長年の夢でした。

逆水平を受けた瞬間

 

この模様は小橋さんがXにあげてくれました。

小橋さんが挙げてくれた逆水平チョップの動画はこちら

小橋さんから勝ち名乗りを受ける

 

今回のトークバトルは小橋さんと四天王プロレスの熱烈なファンであるDr.市村の一生の思い出となりました。

プロレス的にいうと、こうしたイベントは点で終わらすのではなく、点と点を線にしていくことが大切であるとファンとしては思います。

今後も小橋さんとコラボができるようにしていきたいです。

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